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とがしま通信より「興居島からやってきました!!」

本校新卒の大堀先生のエッセイを紹介します。奇しくも本校と同じ規模の中学を卒業しています。

興居島小中学校ホームページ

興居島の観光案内ホームページ 


 突然ですが、私の自己紹介をさせていただきます。私の故郷は愛媛県松山市です。松山市と聞くと、道後温泉や坊ちゃん、正岡子規などを思い浮かべる方がいらっしゃるのではないでしょうか。そして、初めて会う方などに「松山市出身です。」と伝えると、よく「都会出身なのでは?」と聞かれます。しかし、実は、愛媛県にある200近い島の中の興居島という島の出身です。松山市の西部に位置しており、松山市本土からは船に乗って10分ほどで着きます。特産品はみかんです。人口はおよそ1000人で豊根村と大差はありません。島内の学校は小中学校が1つと松山市の認定こども園が1つあります。高校や大学はありません。元々は小学校が2校ありましたが、12年前に統合されました。私が小学校5年生の頃の話です。考えれば考えるほど私の故郷と豊根が似ていると感じます。

 さて、今更ですが、ここで問題です。この“興居島”という漢字は一体どのように読むでしょうか。「興居島」という名前の由来は、この島に住んだ伊予皇子の妻・和気姫に3人の子どもが生まれ、その末子の小千御子が「母がいる島→母居島(ぼごじま)」と呼んでいたのが今の島の名前である「興居島(ごごしま)」に転じたとされています。ということで、私の故郷の名前は「ごごしま」です。

 そして、私の地元には「船踊(ふなおど)り」と呼ばれる愛媛県指定の無形民俗文化財があります。その名の通り船の上で演じます。私もこれまでに数回演舞したことがあります。起源は以下の通りです。

(https://www.ritoumeguri.com/23350/参照)

 船踊りの起源は、承平年間(平安時代、931〜938)に遡ると言われており、凱旋の島民の歓迎の様子です。戦勝に沸き返る中で戦いの模様を武者踊りとして再現したのが始まりとされて、その後、いつの頃からか氏神様の祭礼神事として取り入れられるようになりました。太鼓が同じリズムを繰り返し、言葉を発しない踊りは現代でいうパントマイムで、「六法」を踏み、見栄を切る歌舞伎荒事の振りで踊ります。六法(ろっぽう)とは、歌舞伎で演じられます。手を大きく振り、足を力強く踏みしめながら歩く演技の事。また歌舞伎荒事(かぶきあらごと)は、元禄時代、初代市川團十郎によって創始された荒々しく豪快な歌舞伎の演技の事です。

 実は、この興居島出身の偉大な野球選手がいるのです。それは、昭和の怪物といわれ、佐久間で育った江川卓選手のライバルだった西本聖選手です。ますますこの地に来たことが何かの縁ではなく、運命だと思われてなりません。自分が地元で学んできた教育の良さを還元し、また、豊根村のことも学びながら豊根でしか出来ない学びを提供していきたいと思います。これからよろしくお願いします。(文責:大堀)