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「三河ダルク」更生しようと努力している方のお話 前編

 12月15日、「薬物乱用防止教室」で、実際に薬物依存症になり更生施設でがんばっている方のお話を聞くことができました。その方々の写真を出すことはできませんが、講演内容はブログに掲載してもよいというお許しを出ましたので掲載します。これを保護者の方々が読まれると、きっと我が子のために、依存症になりたくないと思うのではないでしょうか。

 逆に生徒は、たとえ恵まれない環境におかれても、強い気持ちで生き抜くんだという気持ちになったのだと思います。いつも以上に真剣な表情で話を聞いていました。

 今後、薬物乱用教室は、「薬剤師などによる薬の基礎知識」「取り締まる側の警察のお話」「実際に依存症になった方の体験談」の3つをローテーションして行っていく予定です。

 

三河ダルク代表松浦さんの話

 「薬物・アルコール依存症」で困っている人がたくさんいます。15年前に三河ダルクができたのですが、自分自身を回復させることがたいへんでした。

 これから大人になり、華やかな世界に出たときに、気をつけて欲しいと思い、3人の方がお話します。

 ひろたかさん(仮名)

 薬物依存症について、両親が離婚。父親が育児をしない。母子家庭で育った。それまでおばあちゃんのところに住んでいた。

 小学校1年生から小学校2年のときに妹ができた。母親が再婚したから。妹の父親は妹をかわいがるが、自分をかわいがってくれなかったので、変な感じがして受け入れられなかった。自分の父親ではないと思っていた。小6の2学期に離婚することになった。その理由は父親が仕事に行ったふりをして、仕事にいってなかったから。

 それから父親がストーカーみたいになってしまった。警察に相談したんだけど、卒業式の前になって父親のストーカー行為から逃れるため、転校したくなかったんだけど、転校することになった。転校先でいじめを受けた。母子家庭だったので家に帰ってもお母さんがいない。寂しいので鍵を閉めて友達の家に遊びにいった。

 母親からも「あんた、なんで言うことをきかないんだ。」と言われた。がみがみいってくることに対して、うるさいなあと思っていた。どんどんエスカレートして、たたかれるようになって、「出てけ」とか「死ね」とか言われた。なんとか解決したいと思いながら、ずっとすごしていた。ひどいことを言われ続けた。自分はおかしくないと思いつつ、がまんした。自分の体に鉛筆をさしたりすると落ち着いた。

 家出を決意した。夜10時に友達の家に行った。友達のうちはあたたかいと思った。高校に入ったけどうまくいかなかった。まわりが不良だったので、自分も道を外すことになった。友達の先輩と遊ぶとなって、自分の友達はみな、シンナーをやっていた。おまえも吸えよといわれて、初めてシンナーを吸った。断ることはできなかった。

 元暴走族の人と知り合った。すごくまじめだった。ふつうに働いて一人暮らししていてかっこいいなと思った。「俺もシンナーをやったことがある」と言われて、それから大麻にはまる生活になった。最初は月に1回が、2週間に1回、そして毎週毎週先輩のところで、という生活になった。違う薬物も使ってみたいと思い、薬物を使う生活がエスカレートした。これもおもしろいなあと思っていた。薬物がないとつまんないと思った。19歳のときに、たまたま知り合いの先輩から注射を打った。やめたいと思った。

 自分はもともと明るい性格だったのに、薬物がないと元気が出なくなった。使っていることがばれるんじゃないかと怖くなった。そして「ダルク」でリハビリすることになった。ここにいけばやめられると思った。

 薬物を今でも使いたくなる。今は仲間がいるから「使いたいんだ」と正直に言える。社会に出てそれをいうと、「こいつ何をいっているんだ。」と思われるから言えない。好きな子がいたけどつきあうことができなかった。「自分はすごくよごれている。その子の人生をだめにするんではないか」と思ったから。前向きになれなかったりとかした。警察に捕まってとか、ずっと大変だった。